節分が近づいて来ました。節分に関係する植物と言えば、ヒイラギ(柊)。そのヒイラギについて、当演習林の元・技術補佐員である和田慎氏から寄稿いただきましたので、ご紹介します。
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2月3日は「節分」です。暦のことばとしては季節の移り変わる時、つまり立春・立夏・立秋・立冬の前日の呼び名ですが、「節分」といえば立春前日の「豆撒き」を思い浮かべますよね。
この行事は、奈良時代より少し前の文武天皇期(在位:697~707)に中国から伝わり宮中で確立した「追儺(ついな)」という儀式が元となっているようです。
大晦日の夜、悪鬼(鬼に扮装した舎人)を内裏の四門をめぐって追いまわし、殿上人が桃の弓、葦の矢で鬼を射るのだそうです。「おにやらい」とも呼ばれ、奈良時代に寺社の行事として広まったとされています。この行事が民間に広まる過程で、ヒイラギは邪鬼を追い払うために門柱に飾られるようになったと考えられています。
ヒイラギ
松江市周辺部でも大晦日に豆撒きをする地域(美保関町北浦)、節分の夜にソバを食べる地域(八雲町・忌部町)などが残っていること、豆撒きの後それぞれが数え年分の豆を食べることから考えると、「節分」は迎春、つまり年を改めるための行事だったのでしょう。
「節分」で使うヒイラギに干しイワシを刺すようになったのがいつ頃かは定かでないのですが、松江の町では昭和初期まで竹串にイワシとヒイラギの葉を挟んだ「ヤイ(ヤエ)クサシ」を売っていたそうです。
島根町加賀ではカヤの先を裂いて干しイワシを挟んでいたようで、追儺の葦の矢とのつながりを感じさせます。また、八雲町ではサンショウの木を割ってヒイラギの葉と干しイワシを挟んでいたようで、トゲが魔除けに通じると考えられます。(「松江市史」別編2「民俗」参照)
常緑でトゲのある葉が年間行事の中で重要な例は、ヨーロッパにも見られます。
クリスマス・ケーキの飾り物でよく見かけるセイヨウヒイラギ(hollywood)は、「ヒイラギ」とは言ってもモチノキ科でヒイラギとは縁の遠い関係です。古代ローマ帝国の時代、冬至前後に行われていた農神祭(サトゥルナラニ)で聖なる木として供えられていたのがキリスト教にも取り込またようです。常緑で赤い実があることから、十字架上のキリストから落ちた赤い血が永遠の命であることを表すのだそうです。(平凡社「世界大百科」セイヨウヒイラギ項要約)。
最近は中国や朝鮮半島南部に分布するヒイラギモチ(モチノキ科)もクリスマスの飾りとしてよく見かけます。
ヒイラギモチ
ヒイラギモクセイは、ヒイラギとギンモクセイの雑種とされ、娘のいるお家の生垣として好まれるそうです。
ヒイラギモクセイ
蛇足です。「恵方巻」の起源をどの時点とするかは難しいですが、1978(昭和53)年に全国海苔貝類漁業協同組合連合会が2月3日を「のり巻きの日」と定めたことは、恵方巻の風習が全国的に広がるのに一役買ったことでしょう。恵方巻の風習は、それはそれでよいと思いますが、イワシの生臭さで鬼を遠ざけようとする考えとはかなりかけ離れているようにも思えます。
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